コンサータ とストラテラ服用してみた件について
こんばんは。閣下さんです。
雑記と自己表明を書きます。
今日は僕にとって、記念すべき、コンサータ 16mgを初めて服用した日です。今回は改めて自分自身について振り返ってみようと思います。
また、自分自身の特徴もオープンにしていきます。僕と同じように困っている他の人とインターネットを通じて共有出来れば良いかなと思っています。
さて。
僕がADHDであることが確定したのはほんの1年半前です。
当時、社会人になってから3年経っていましたが、睡眠障害を発症していました。
簡単に言うと、朝起きれないし、夜眠れない。寝付くのに1時間半、長い日で3時間かかったりしていました。
当然、体内時計は無茶苦茶です。
睡眠障害自体は昔からあったのですが、学生時代は「何となく朝に弱い」程度だと思っていて、また、親と同居していた時期が長かったので、特に社会生活に影響が出るレベルでないと自認していました。
これがそもそも大きな間違い。
大学卒業後から会社員として働きましたが、暗黙知関連がサッパリで上手くいかない。
そして月に1回くらいの頻度で寝坊や徹夜での出勤を繰り返していました。
困りごとは2つ。セルフコントロールが効かないこと。自己認知と他者認知にズレがあり、適応出来ていないこと。
流石にのんびりしていたウチの職場も「これはヤバイ」となって、上司の説得もあり、精神科のお世話になることになりました。
プライベートでも色々あって、結果的にストラテラ20mgと睡眠導入剤を使用することで、対処していくことになりました。
その後、紆余曲折を経て、ストラテラ80mgとコンサータ 16mgを同時併用しながら社会で生きていくADHD人間だということがわかり、今日に至ります。
ADHDについては、昨年の秋頃に診断書を書いてもらい、自立支援制度に申し込んで薬価の大幅な引き下げをしました。
これは素晴らしい制度なので、僕と同じような人達には是非使って欲しい。
では、コンサータ とストラテラそれぞれについての個人的な感想を書いていきます。
⑴効果
・衝動買いなどの突発的な行動や、TPOを踏まえない言動が抑制
・整理整頓能力が向上
・全体的な家事能力の向上
・日常生活の構築能力の向上
・体内時計のコントロール能力の向上
・認識能力の向上。頭の中のウルサイ部分が収まり、結果的に客観視が効くように。
⑵副作用、弊害
・吐き気
・アルコール併用不可(らしいです)
⑶効果のなかったこと
・先延ばし
・暗黙知の理解と自己表現
・段取り作業などの事務作業
・ワーキングメモリの向上には効果なし
ざっとこんな感じです。
あくまで、僕個人の感想ですが、ストラテラは「とっ散らかりまくった思考を抑制して、ある程度コントロール可能な状態にしてくれる」薬です。
これ1つで何でも上手くいくわけではありませんが、かなり助かります。
アルコールとの併用については、僕個人はあまり飲酒は好きではないので気になりませんでした。
巷でよく言われている、希死念慮や過剰な抑うつ作用などは、恐らく上記のような鎮静作用が関係していると思います。
次。まだ1日目で、用量も最低の16mgですが、コンサータ の雑感。
⑴効果
・動作性の向上
・ワーキングメモリの改善
・衝動のコントロール能力向上
・先延ばしなどの減衰
⑵副作用
・12時間後の疲労感
・食欲の減衰
まだ初日なので、効果のあったorなかったについては今後、変わっていくと思います。
プラシーボかもしれませんが、薬効時間内は頭がシャキーンとなる感覚でした。
今後も主治医と相談しながら、やっていきます。頑張ります。
以上。
また更新します。
自堕落な貴方の為の奥多摩探検案内〜お散歩記録②〜
皆さん、朝早く起きれてますか?
僕はダメです。
意志力が弱いので、休みの日もささっと活動に取りかかれません。そして時間は有限ですからドンドンやりたいことが未消化なまま、時だけが過ぎていく…
しかし、そんな僕でも日々、お散歩を日課としています。
今回は面倒くさがりな皆さんに向けて、(僕の記録としてという意味も多分に含みます)、弾丸奥多摩・格安ツアーを提供します。
①奥多摩の魅力
・都心から好アクセス(新宿から片道2時間程度。ルートは、新宿→【中央線】→立川→【青梅線・立川行き】→青梅→【青梅線・奥多摩行き】→奥多摩 )
・交通費が安い(JR東日本が発行している、JR東日本の1日乗り放題になる切符、「休日おでかけパス」を使用すると、¥2,670-で済みます。(2019.1.26現在)しかもどこで降りても良い。)
・景色が綺麗(東京最期のフロンティア)
②奥多摩のココが大変
・散策エリアも広く、出来ることも多いのですが、山間地なので、スポット毎の移動が大変です。車さえあれば何とかなりますが、奥多摩駅周辺にレンタカーはなく、駅前のタクシーも1台しかありません。
・観光メインだと、日原鍾乳洞と奥多摩湖がメインスポットになりますが、2地点の移動には、車を使わなければ、バスでの移動になりますが、2時間かかります。地獄。
・道があまり歩行者に優しくありません。断崖の道を徒歩で歩く時は、爆走する自動車に気をつける必要があります。自動車も気持ち良いくらいかっ飛ばして行きますから、かなり怖いです…
横を見ると、こんな光景の広がる道路を歩道もなく、トボトボ歩くので、日の出ている内にしか活動出来ません。夜間活動には車かバイクが必須です。
・移動のメイン手段になると西東京バス、JR東日本の奥多摩線の運行本数は基本的に1時間に1〜2本。移動先のエリアが遠い時にこれはキツイです。バスと電車の時間は必ず確認しましょう。最悪、帰れなくなります。 とはいえ秘境的観光地はどこもこんなもんですが…
③奥多摩・弾丸ツアー・オススメルート
僕は葛飾区に住んでいますので、片道3時間かかります。
今回は『麦山の浮橋』というスポットめがけて進んでいきますので、日原鍾乳洞は諦めました。冬に行くところではないような気もするし。何より距離が離れ過ぎている。
14:00 ごろに鴻ノ巣駅に着。
その後、白丸駅まで徒歩。青梅駅方面に逆走すると、鴻ノ巣渓谷という、これまた絶景があるみたいですが、今回は無視。
喫茶「木古里」
割合著名な喫茶店。タバコも吸えるし、なんかよく分からないもの売ってたりしてます。ゆるい感じで良い。
奥多摩駅についたら、白丸駅方面に向かって逆走しましょう。10分ほど行くと、もえぎの湯という温泉施設があり、露天風呂が楽しめます。
16:10 奥多摩駅(バス停)→奥多摩湖or小河内神社(バス停) 約20〜30分
風呂に浴びたら奥多摩駅まで戻りましょう。
ここで、奥多摩湖に行くか、麦山の浮橋を見に行くかで選択肢が別れます。
奥多摩湖の場合は、バスを途中で下車。ダムが見れます。そうでなければ、熱海やら女の湯やらの珍しい名前のバス停を飛ばし、峰谷橋(バス停)か小河内神社(バス停)で降りましょう。
歩いてすぐの所に麦山の浮橋と、小河内神社があります。
、
注意点。
①麦山の浮橋の渡った先は登山道入口になっており、バス停に接続していません。必ず引き返しましょう。
②帰りのバス停は峰谷橋(バス停)をオススメします。明かりがついており、トイレもあり、通行する自動車も避けられるスペースが十分にあるからです。
星がとても綺麗ですが、奥多摩駅方面の最終バスは、20:00台です。この時期に最終バスを逃すと、本当にヒッチハイク以外の選択肢がなくなるレベルで冷え込んできますから、注意してください。
以上になります。
皆さまも良い休日を。
お散歩記録①群馬県富岡製糸場・伊香保温泉
ブログを更新するのは本当に久々です。
こんばんは。閣下さんです。日々、何とか生きてます。
今回は都内から群馬県富岡製糸場と伊香保温泉へお出かけする際についての記事を書きます。
ルート:
⑴都内から富岡製糸場まで
①上野〜[上越新幹線]〜高崎
②高崎〜[上信鉄道]〜上州富岡
新幹線を使うと約¥5,000-くらいです。所用時間としては3時間を見積もればok。
上信鉄道の高崎駅では富岡製糸場の入場券込みの往復切符を売っています。440円安くなるとのこと。
Suicaが使えないので、ここで買っておきまし
ょう。
上信鉄道は1時間に1本〜2本くらいしか運行していないローカル線なので、上州富岡駅に着いたら帰りの時間をチェックしておきます。
僕はこれを怠り、20分ほどロスしました。
google mapによると、西富岡駅の方が最寄り駅になっていますが、現地の案内では上州富岡駅を最寄りにしています。
後で分かったのですが、上州富岡駅からの高崎駅行きの始発電車がありました。やはり地方へのお散歩は現地情報を大事にしにないと損をしますね。
上州富岡駅から富岡製糸場までは徒歩で10分弱。富岡製糸場の前は古風な商店街がありますが、商店街を抜けると所々のバラック風の建物や意味不明なセンスを感じる建物もチラホラ…
富岡製糸場ですが、産業世界遺産とだけあって、かなり壮観です。
特に、操糸所跡は一見の価値ありです。
是非、寄ってください。
滞在時間は1時間〜1時間30分ほど。
国宝・東繭置
国宝・操糸所
国宝・操糸所
さて。富岡製糸場ですが、周辺にはなーーーーんにもありません。鉄道はローカル鉄道だし、周辺は普通の住宅街・農村です。
この周辺の名所としては、日本三大奇景の一つである妙義山や、上信電鉄をさらに山の方に登ったところにある下仁田温泉、さらに富岡製糸場遺跡群に含まれる荒船風穴という蚕の貯蔵庫もありますが、軽く訪れるにはアクセスに難があります。それなりの下調べと目的意識が必要です。
ここでオススメが伊香保温泉。
群馬県渋川市に位置し、戦国時代に生まれた由緒ある温泉街です。
②渋川駅からタクシーかバスで20分くらい
僕は分からなかったのでタクシーを使いました。料金は¥3,500-くらいです。1時間に2本くらいの間隔でバスが出ていますので、事前に調べておきましょう。
伊香保温泉へのアクセスとなる下車・降車停留所は三晴下 というバス停です。
伊香保温泉では日帰り温泉施設も充実していますのでそこでお風呂に入ると良い感じになります。
その他、パワースポットで有名な伊香保神社、竹久夢二美術館などがあります。
伊香保神社への階段は365段ですが、割合簡単に登れます。
頂上についた時はとても良い達成感を味わえます。
与謝野晶子の歌が何故か掘られた石階段
24時までやってます、伊香保温泉黄金の湯。
石段はこんな感じ
パワースポット、伊香保神社
多分、この行程なら、都内を朝早く出発すれば1日で楽しめちゃいます。
お散歩ご検討の方は是非。
安部公房『壁』「S・カルマ氏の犯罪」についてのちょっとしたカキコミ。
先日、とある友人と安部公房『壁』の「S・カルマ氏の犯罪」についてtwitter上で少し話をする機会を得た。とても難しい作品だと思うし、なんだかんだよく分からないけど面白いという、頭の悪い感想に終始してしまうところもある。今回は丁度良い機会であるし、昔学校に提出したレポートを引用しながら、誰かの助けになると幸いであると良いと思い、ちょっくら書いて行こうと思う。
安部公房の初期短編、『壁―S・カルマ氏の犯罪』(昭和四四年・新潮社)は主人公であるS・カルマ氏が「名前」を失うということから展開し、、最終的には「見渡す限りの曠野」の中で「静かに果てしなく成長してゆく壁」になるという変身譚であるのだが、ここには「社会的属性を喪失した人間」が描かれている。作者の自身、エッセイの「S・カルマ氏の素性」(『安部公房全作品13』昭和四八年・新潮社)において
このナイーヴで平凡な、わが主人公は、私の考えでは一種の実存主義者らしい。
と言及している。また、作者である安部自身も『ユリイカ』でのインタビューにおいて(平成六年 八月号 青土社)、「自分を実存主義者だとお考えですか。」との質問に、
ええ、多分。戦時中、高校生だったぼくは戦争反対主義者でした。その頃読んだのはヤスパース、ハイデッガー、フッサールですが、程度の差こそあれ間違いなく何らかの影響を受けました。(中略)サルトルはまったく好きになれません。彼にはユーモアセンスというものが欠如している。ユーモアなしでは現実を耐えていけません。
ぼくが実存主義に傾倒した一番大きな理由はごく単純で、「存在が本質に先立つ」とぼく自身が考えたからです。
と答え、自身が実存主義者であったことも述べている。
Ⅰ実存について
ではまず「実存」とはなんぞや。なんなのか。
『実存主義辞典』での「実存」の項では以下のように書かれている。
日本語としては、実存は、真実存在という言葉の中間の二文字を、あるいは現実存在という言葉の中間の二字を、とったものと考えていい。つまり、真実にして現実なる人間存在、という意味を含ませた言葉と見ていいだろう。(中略)
Existenz(実存)という語は、ラテン語のexistentiaに由来している。(中略)ところで、existentiaは、語源的にはex-sisito(外に-立つ)の名詞化であり、exsistoとは普通に「外に歩み出る」とか「突然現れる」とか「生成する」とかいう言葉であった。したがってexistentiaとは、現実に具体的に存在するもの、あるいはそうしたものの成立や現存や生存を示す概念である。
エクジステンティアは現実の具体的な存在者を示す言葉として、概念上はエッセンティア(essentia 本質)と対応するものだった。エッセンティアは事物や人間における恒常の本質として、以前にも今でも今後も不変同一な理念、実質、核心であろう。(中略)人間の本質といえば、個々の人間が死んでも変わらず同一のものと考えられる普遍的な人間性とみなされるのに反し、エクジステンティアは生誕し現存し死去する個々の人と見ていいだろう。(中略)
一般的なモデルのような抽象的本質が先にあって、それに合わせて、あるいはそれを基盤にして、われわれは自分の何者であるかをつくるだろうか。むしろわれわれは、自分自身の自由と選択を通じて自己なりの本質をも形成してゆく者でなかろうか。自分を真実にも不真実にも形づくってゆくのは、われわれひとりびとりの責任であり、自由ではなかろうか。
と論じており、「実存」とは「個々に自己を形成していく人間存在」のことを指すとして
いる。更に、
この現存する自分は、日常的には世間の生活裡に埋没し、現実に真実に自己自身であるどころか、むしろ「われを忘れて」世事に忙殺される。(中略)そこからしてわれわれは実存が単なる物理的な現存物でなくて、今ある自分の裸かの事実存在を否定して現実真実に自分と成ろうと企てる存在であることを、知る。(中略)実存は絶えず可能的でも現前的でもある自分の虚像に抗して自己を守りあらしめる者でなくてはならない。(中略)実存は自分の足下に襲う「虚無」と「亡び」に挑戦し、虚無と滅亡を克服しゆくところに求められ、現われ、形成されなければならない。実存が現実に真実な底存在だといっても、その現実性は直接的な自然性の意味でのリアリティーを否定し乗り越えて捉え直されねばならないし、その真実性は直接的な事実性の意味での事態を否定し乗り越えて把握し直されねばならない。こうした自己否定と自己超越の絶えざる反復の試みにおいてこそ、実存が自覚的に主体的に現成しあるいは創造されるのである。
実存の超越や生成といっても、(中略)自己の落態や自己喪失を自己否定的に乗り越すこととして、現在のあり方に決断をもって告別し、新しい自己存在に転身する行為でなければならない。(中略)実存は、こうした決断と飛躍の主体的行為において、繰り返し捉え直されてゆくものとして真実に現成する。実存は、その点で、決断存在でなければならない。
と論じ、「実存」の決断的主体性、超越性を論じている。そして、それを引き起こす限界状況について、
(中略)いかなる限界状況も、真実の自己のありかたを探求する実存としては、回避することはできない。(中略)他人に代わって引き受けてもらうことのできないものである。それから逃亡することは、真実に現実に自己であろうとする実存的人間たることを捨て去ることを意味する。
として、実存的人間の苦しみについて言及している。
「法と権利は名前に対して関係するものである」から永遠の被告人になってしまうという限界状況に陥ったカルマ氏は、社会的存在性を見失っても現実的に存在している「ぼく」を自覚していることが、作中での一人称という形態を用いて示されている。作品は「裁判」からの逃避に展開されるが、「逃避」という行為そのものに主体=自己が存在していることもまた真実である。つまり、『壁』のカルマ氏は実存的性格を持っていたと言うことが出来る。もしくは、外部的要因を一切排除された実存そのもの、とも言うことが出来る。
ここで、カルマ氏の実存について、李貞煕「阿部公房 『壁―S・カルマ氏の犯罪』論」(筑波大学『文学研究論集』一二 一九九五年)を紹介したいと思う。(ちょっと長くなるのでなんとなく読み飛ばして頂いて構わない。)
李氏は、この作品についてルイス・キャロル的「あべこべの世界」ビジョンと、変身のモチーフを根源に論を展開しているのだが、「実存」はやはりキーワードとして出現している。
「カルマ」というのは、サンスクリット語で、「Karman(業)」。もともとそれは行為、広くは所作や動作、もののはたらきを示すが、仏典では、過現未三世に薫州として伝えられる意志による心身の活動という意味になる。(中略)「カルマ(業)」の意味の中に、善か悪か無己(非善非悪)といった倫理的価値判断が内包されるということになる。(中略)そうすると、暗示的なのが「S」という頭文字であろう。(中略)同じサンスクリット語のサンサーラ(Samsara)と「Sin」である。まずサンサーラは輪廻という意味で誕生、死、転生というとどまることなく円環の中にある諸個人を含む、この経験世界における存在の流浪を意味している。(中略)また、「Sin」は、第一(宗教上・道徳上の)罪、罪業。第二(礼儀作法に対する)あやまち、過失、違反。第三、気が利かないこと、ばかなことという意味がある。(中略)それからすると、「S」と「カルマ」とは因果関係のよって悪の存在をうむことになる。すなわち、主人公「S・カルマ氏」は悪の表象ということになろう。(中略)すなわち「S・カルマ」氏が、「S・カルマ」という名前を喪失することによって「心と体」と「名前」が分離していく。
(中略)この作品のなかで主人公が名前を失うという状況は、単なる機能としての記号の喪失にとどまらない。安部公房にとっては、「S・カルマ」という名前はまさに悪の実存性を表象するものであるところからすれば、「存在感の回帰」とか「既成秩序からの脱落」ということだけでは解釈しえないのではなかろうか。
(中略)「名刺」は「おれは敵から名前を奪い、敵は名前を失った」と豪語し、みずから「S・カルマ(悪)」そのものになる。この特異な分身モチーフには、その根底に人間の実存の問題が秘められている。
(中略)かれにとっての実存とは、単に身体論のレベルにとどまるのではなく、身体に付着する従属物―名前もその一つだがーである名前という記号を媒介にして外部の社会に求められているのではないだろうか。「心と体」と「名刺」の対決は決して実存と社会性の対決といったような公式で割り切れるものではない。実存と社会性というのは一つの人間存在の両面であった。
更に李氏は名刺や上着、ズボン達が表明した、「死んだ有機物から生きている無機物へ!」のキャッチフレーズに代表される、「あべこべの世界」を想起させ、人と物の逆転を形象化したことについて言及し、論を進める。
(中略)名刺カルマ氏は「俺は敵から名前を奪い、敵は名前を失った」と叫んだとき、みずから「S・カルマ」そのものになった。すると、この社会には名刺カルマ氏が実存するということになるのだろうか。その場合、身体論的レベルのS・カルマ氏は、悪なる実存を脱却して、自由を獲得したといってよいのだろうか。分裂そのものに「罪悪」を唱えるルカーチ的価値観(注1)からみれば、〈人〉と〈物〉いずれにも「罪業」があるというべきだろう。現代の都市に住む限り、悪からの自由などはありえない。(中略)それゆえに世界の果てへの逃走というモチーフが重要になってくるのである。
こうして「物象化」そのものに対する罪業を持つルカーチ的価値観を参考にし、李氏は最
後終部の「世界の果てへの逃亡」の重要さについて述べている。
最終部、世界への逃亡については多くの論があるが、李氏は以下のように言及
している。
カルマ氏の胸の中にひろがる「曠野」とは、都市に住んでいたかれが自分の名前を失うことによって、その空白の中に侵入してくる孤独と不安の寓喩であった。(中略)「世界の果」はカルマ氏が唯一生存できる場所であるが、そこは名前も職場も家族も恋人も、それらすべてを遠ざけ、捨てきった極限であった。
(中略)実存哲学では、人間が追い詰められたぎりぎりの状況を「壁」という。ヤスパースはこのような状況を「限界状況」と名付け、そしてそれを体系的に三つの異なった範疇に区分している。(注2)そのなかの第一の限界状況のみに言及すれば、〈私〉があらゆる可能性の全体として一般的に存在するのではなく、現存在として常にある特定の状況の中に限界づけられてあるということである。(中略)限界状況に直面したとき、一般にそれに対応するために二種の行動が可能であるとされている。ひとつは、限界状況を察知することができないか、あるいは故意にそれを回避したりすることである。ふたつは、正面から限界状況を引き受けて、一旦は絶望に陥るが、やがて回生していくことを通して、限界状況を超克しようと努めることである。(中略)けれども、カルマ氏はどちらにも属さない、まったく別なものに変身する。(中略)
カルマ氏は知らず知らずのうちに名前を奪われて、現実の都市から疎外されていく。その中で「孤独」というものが胸の中に生じる。それは「壁」の成長とともに大きくなっていく。とすれば、「壁」というのは「曠野」と同じく孤独の塊といってよかろう。(中略)カルマ氏とは別に、すでに「壁」になって成長してゆくものがある。「壁」になるのは、カルマ氏だけではなく、都市から疎外された人間すべてが「壁」になっていっているのだ。(中略)それはまさに都市の孤独と不安の表象でもあろう。
このように李氏は「壁」のモチーフとして、「都市によって限界状況に陥った、孤独な人間
達の孤独そのもの」を見た。
他の論文としては、石橋紀俊が「安部公房―『S・カルマ氏の犯罪』論―自我・変身・言
葉―」(昭和文学会『昭和文学研究』一九九八年 二月号)でせむしの言うもう一つの世界
の果ては読者であることに言及していたり、久保田芳太郎の「安部公房「壁―S・カル
マ氏の犯罪―」」(至文堂『解釈と鑑賞』一九七八年 四月号)においては成長していく壁
のことを「現代そのものの象徴」としたものが挙げられる。
Ⅱ成長していく壁、世界の果 について。
李氏の言うように、最終部、「成長していく壁」は「都市によって限界状況に追いやられた孤独なもの達の孤独そのもの」なのだろうかという事案についての考察。
まずは世界の果てについて。これは以下の点の特徴がある。
①せむしの言う現在の世界の果は、「みなさん自身の部屋」のことで、壁は「それを限定する地平線」であるということ
②そこは現実に行われ、世界中どこでも付きまとう「裁判」から逃れ得る唯一の場所であること
③世界の果は主人公の胸の中で、そこには目で吸収した曠野が広がり、そこにあるのは成長する壁のみであるということ。
④世界の果に到達した主人公の人称は、「もはや彼と言わなければならないでしょう」とあるように人称が「ぼく」から「彼」へ変わること
が挙げられる。
まずは、①、②について。、「世界の果」とはカルマ氏に襲い来る「裁判」の追いつかない場所、つまるところ現実、リアリティ、都市とは異なる異質な場所である。元々の曠野が病院に置いてあった、本の絵であったということからも伺い知れる。
③について。せむしは「世界の果はそれを想う人たちにとって、もっと身近なものに変化したわけなのです。言いかえると、みなさん方にとっては、みなさん自身の部屋が世界の果で、壁はそれを限定する地平線に他ならぬ」と言っている。李氏の意見を参考にし、実存的局面からこれをみると、ヤスパースの言う実存哲学における「壁」とはつまり実存的極限そのものであり、端的に言うならば「疎外」や「孤独」という状況である。では、壁によって隔てられるものはなんであろうか。それは自己の疎外による完全な「他人」に表象される、都市や田舎等の「社会」と、それに対する「自分の部屋」、つまり「世界の果」であり、それは「他人」と対応する「自分自身」である。カルマ氏は、他人、都市、社会との関係性を一切切り捨てた、「裸の実存」へと向かうこと。その試みが「世界の果への逃亡」だ。せむしの言う「変化した」というものは、このような自分の実存に迫りやすくなるように世界が動いてきた=実存主義の誕生、ということに他ならない。
すると④のことの説明が付く。「世界の果」は極限的な「カルマ氏の実存」そのものであるから、それを語るには、外部の人称「彼」を使わなければならない。「自己の実存を模索している自己を自分で語る」という形容矛盾を避ける為の、「彼」という呼びかたなのである。
しかし、カルマ氏の実存の表徴である世界の果には何があったか。以下は、カルマ氏が壁に吸い込まれたあとの描写である。
なお壁を見つづけると……彼ははるかな地平線を見つめているのでした。次第に辺り
が暗くなり、青白い月が天頂の窪みにころげこんでいました。彼は膝をかかえて下級
に坐っているのでした。
それは講演会の映画で見せられた映像と同じ、前半でカルマ氏が吸収した、病院の本の写真、無限の曠野に他ならない。あるのは砂で満ちた砂漠のみである。そこには他の「カルマ氏たる本質」を示すものは存在しないのだ。
安部公房の作品、『砂の女』(新潮社 一九八一年)で、砂について
砂の不毛は、ふつう考えられているように、単なる乾燥のせいなどではなく、その絶えざる流動によって、いかなる生物をも、うけつけようともしない点にあるらしいのだ。年中しがみついていることばかりを強要しつづける、この現実のうっとおしさとくらべて、なんという違いだろう
という、砂についての考察がある。つまり、「不毛であり、現実とは違う」ということが読み取れるが、それが読み取れるだけで、何らカルマ氏がカルマ氏たる「本質」はそこには存在していない。敢えて言うならば、曠野を吸収する際の砂の描写に、「砂は指の間からさらさらと流れ落ちて、後にはなんの感触も残りませんでした。」とあるように、「社会・都市」という概念を除いた後に残った、「社会」から切り離された、主人公の実存は「不毛」な曠野でしかなかったのである。そもそも、「S・カルマ」という「名」も、作中において彼自身が自分で発見したのではなく、根拠はあくまでも「その名刺があった」というだけなのであり、それが本当の名前であった保証はどこにもない。作中ではただの「ぼく」である。
そして、彼は壁に入っていく。この壁は前述したようにヤスパースにおける「実存的極限」としての「壁」である。この中では「都市主義者」、すなわち他人であるユルバン教授。ドクトル一行と主人公との間で最後の事件が起こる。ここにおいて舞台が曠野やカルマ氏の自室を行き来するのは、実存そのものであるカルマ氏の意識の向き加減と見て良い。実際に、「他人」であったはずのY子がカルマ氏を助けてくれた後、壁の中の部屋を出た場所は「都市」と現実的に対比可能である「カルマ氏の自室」だった。しかし一方、人称はまだ「彼」であり、味方であったはずのY子とも「最後の別れ」を経、涙でユルバン教授とドクトルを退けた後は、「曠野」の中で「静かに果てしなく成長する壁」になってしまう。
壁になるということは、「実存」へ、世界の果への逃亡をすることではない。前述した用語を使えば、「実存的限界状況そのもの」になるということ、世界の果と都市との地平線、その境界線になる、ということである。「超克」でも「回避」でもない。実存主義的見方をすれば、「真実人間存在であること」を辞めたのであり、故に、極限状態そのものである「壁」になった。その実存的限界状況の具体例として李氏が挙げた壁=孤独というのもその通りなのである。
しかし、こう言うことも出来る。この都市による疎外によって、「真実人間存在」を辞めるということは「実存的思考」の崩壊である。そして、「都市=社会=他人」との関わりを一切断った時のある一人の人間の本質は「不毛な曠野」であった。つまり、「一人の人間」たるイデアは曠野でしかなかったのだ。これは裏を返せば、人間は常に、「社会」や「環境」と関わりを持ち、「アンガンジェ」するものではないだろうか、というモチーフが、実存主義者、安部公房の手によって、最終部、「壁への変身」に示されていることなのである。
脚注
(1)李貞煕氏は同論文で『リアリズム論』(G・ルカーチ著、伊東・小森井訳 理論社 一九五〇年)を参考として挙げている。また、それについての言及は以下。
ルカーチは物象化されていく世界をキリスト教的価値観から、「完全な罪業の世界」と批判していた。
(2)更に、李氏は論注で第二、第三の限界状況についても言及しているので以下に引用する。
続いて、第二の限界状況は、死、苦悩、闘争、負い目などのように、だれもがその 都度の特殊な歴史性のうちにおいて、一般的な状況として出会う限界状況である。 また第三の限界状況は、以上の二種の限界状況を経験したうえに、現存在一般が限 界状況として捉えられ、そのような状況において、世界内存在としての〈私〉の存 在に疑問符が付けられるような限界状況である。そのような状況は、一切の世界内 在を絶対的な歴史の推移において生滅流転する無常の存在としてみるところの実存 的意識に他ならない。 松良信三郎。飯島宗享『実存主義辞典』東京堂出版 一九 八八年
だらだらと長ったらしいものになってしまったことは反省の限りである。